JTサンダーズを知ろう!

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JTサンダーズは広島を拠点とするVリーグ所属の男子バレーボールチームです。かつては、“世界一の名セッター”といわれた猫田勝敏氏も在籍した名門で、歴史は古く、戦前から活動している日本の中でも古参のチームです。原爆による被害やチームの低迷期など、数々の困難を乗り越え、2014/15のプレミアリーグで、創部から84年目にして初優勝を飾っています。
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JTサンダーズの歴史

創設期

JTサンダーズの歴史は古く、日本専売公社(現JT:日本たばこ産業)のバレーボールチームとして、1931年ごろに創部しています。当時の日本では9人制が主体であったため、創部時は9人制のチームとして発足しました。

ただ、後の原子爆弾の投下により創部当時の資料が焼失してしまっており、詳しい活動内容は不明のままとなっています。現在、JTに残された古い資料から1931年ごろの創部であったらしいことがわかっています。

戦前の国内バレーにおいて広島県は圧倒的な強さを誇っており、特に呉海軍のチームは全国優勝を5度手にするなど、当時の日本専売公社バレーボールチームは全国大会に出場することすらできない状況でした。当時の日本専売公社には女子チームもあり、こちらは非常に強く、全国大会で2度優勝しており、男子チームは女子チームの陰に潜んでいる状態でした。

原爆による廃部の危機

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。半径2km以内は瞬時に消滅し、累計14万人の命を奪った一発の爆弾は、日本専売公社バレーボールチームにも大きな影響を及ぼします。日本専売公社広島局は、投下位置から2kmの場所にあり、大きな火災に見舞われました。炎は1週間燃え続け、建物のほとんどを焼き尽くしたといいます。800人以上の死傷者を出し、その中にはチームに所属する選手もいました。

原爆投下後はもはやスポーツをする状況になく、社の周辺には焼け野原が広がるだけの状態でした。終戦直前に、国内の状況が悪化したことに伴い一時休部していたチームは、文字通り成す術なく現実を受け入れざるを得ませんでした。

そんな中、終戦後の1946年、なおも広がる焼け野原あとを歩いていた一人の工員が、ひとつのバレーボールが落ちているのを見つけます。そのことがきっかけとなり、「もう一度ここでバレーボールを始めよう!」という機運が高まります。しかし、当時は広島のみならず日本中が貧困状態にあり、活動は困窮を極めました。

しかし選手たちは懸命に努力し続け、1953年、ついに念願の全国大会出場を勝ち取ります。1955年にはベスト4入りも果たし、戦後の時間の流れと共に、徐々に国民の間にもスポーツを楽しむ余裕が生まれ始めました。

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photo by 心の時空(一面焼け野原と化した広島の街)

転換期

1958年、チーム名を「専売広島」と改名。徐々に力をつけ始めたチームは国体でベスト8へ進む健闘を見せます。この一つの要因として、この頃から国内でもバレーボールに力を入れ始めていた地元の私立高校「崇徳学園」の存在がありました。チームの主軸選手は崇徳学園出身者が多く、またバレーボールを目指す少年たちもまた崇徳学園に集まるという流れができてきました。そして後に世界中から称賛を浴びる一人の大選手を輩出することになります。

1962年、崇徳学園から一人の男がチームに加わります。その男の名は「猫田勝敏」。後に日本バレーボールをオリンピック金メダルへと導いた伝説のセッターです。チームも9人制から世界基準である6人制に一本化、さらに1969年には広島に専用の体育館も竣工し、ここに全ての舞台は整いました。

そして1979年、宮崎国体において念願の優勝を勝ち取り、初の日本一に輝きます。創部から実に48年あまり、様々な困難を乗り越えた勝利となりました。1981年の滋賀国体でも優勝し、国内で強豪チームの仲間入りを果たします。

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photo by 円ジョイと師匠の独り言(ミュンヘン五輪で金メダルを獲得した日本バレーボールチーム)

Vリーグ発足

1985年に母体の専売公社が民営化され、それに伴いチーム名も「日本たばこ」へ変更、1988年には「JT」へと変わりました。

その頃、国内でバレーボール人気が高まります。1991年に発足したJリーグ人気などもあり、1994年にはバレーボール界も「Vリーグ」を発足させます。JTはこのVリーグの最初に8チームに選ばれます。チーム名称も「JTサンダーズ」へ変更し、ここに現在の形が出来上がることになりました。

改革期とリーグ制覇

Vリーグ発足後のJTサンダーズはその強さから常に上位を争う活躍ぶりを発揮します。しかし、あと一歩のところで優勝を逃し続け、Vリーグでは2位をキープするもどかしい結果が続きました。

それまでのJTサンダーズでは純血主義を貫くというチームの仕来りがあり、外国人監督は採用されてきませんでした。しかし、あと一歩の壁を乗り越えるため、1999年にJTサンダーズ初となる外国人監督ゲンナジー・パルシンをロシアより招きます。

パルシンは練習をゼロベースで見直すなど、チームの質の底上げに尽力します。その結果は成績に顕著に現れます。2001年の黒鷲旗で初優勝を飾ると、国体の2度にわたる連覇など常勝チームへと変化し始めます。

その後何度か監督の入れ替わりを経て、2013年、元セルビア・モンテネグロ男子代表監督のヴェセリン・ヴコヴィッチが監督に就任します。と同時に、日本代表チームの絶対的エースであった越川優の獲得にも成功。ヴコヴィッチの指導により若手選手も頭角を現し始めます。

そして、満を持したJTサンダーズは、2014/15年Vプレミアリーグにて、悲願の初優勝を飾ります。創部から84年目となる長い道のりが実を結んだ瞬間でした。

そして、現在も広島のバレーボール界の頂点として県民を魅了し続けています。

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photo by 大和JVCの歩み(悲願の初優勝を果たしたJTサンダーズの選手たち)

チーム紹介

日本バレーを世界の頂点に導いた男 猫田勝敏

猫田勝敏は広島県でバレーボールの名門として知られる「崇徳高校」を卒業後、1962年、当時の日本専売公社広島地方局(現:日本たばこ)に入社します。猫田は学生時代から類まれなるセッターとして周囲に素質を認められる存在であり、入社後もすぐにレギュラーとして活躍し始めます。

その姿は、当時の日本代表チーム監督であった松平康隆の目にとまります。同年1962年に弱冠18歳にして全日本メンバーに選出されます。当時の全日本の実力は世界レベルに達しているとは言い難く、松平監督は後の回想談話では「猫田が居なければ世界一を目指すことはなかった」と言っています。

猫田は全日本入りすると次々に新しいバレーボールの「カタチ」を作り出していきます。それまで世界の常識として一般的なアタック攻撃のみが行われていたのに対し、猫田は、時間差攻撃やクイックなど新たな攻撃パターンを編み出していきました。体系で劣る日本バレーボールにおいて、こうした猫田バレーは世界を驚愕させるとともに結果として現れます。

1964年、猫田が正セッターとして出場した東京オリンピックでは銅メダルを獲得、68年のメキシコオリンピックでは銀メダルを獲得します。そして1972年、猫田の絶頂期ともいえる28歳の年に行われたミュンヘンオリンピックで、ついに念願の金メダルに輝きました。猫田は名実ともに世界一のセッターとなり、猫田バレーはここに完成を見たのでした。

その後、徐々にではあるが猫田も年齢と共に少しずつプレーに衰えを隠せなくなります。1980年に行われたモスクワオリンピックの最終予選で敗退となった猫田は引退を決意、専売広島の監督に就任します。

しかし、翌年の1981年、胃がんが猫田を襲います。その後は入退院を繰り返し、2年後の1983年、39歳という若さでこの世を去ります。その若すぎる死は国内外を問わず、多くのバレーボール関係者から惜しまれました。

猛スピードで駆け抜けた猫田の人生は、現在のプレースタイルに大きな貢献を残し、今なお世界中で繰り広げられている熱い戦いの中に生き続けています。

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photo by moogry(往年の猫田勝敏の雄姿)

猫田記念体育館

概要

猫田記念体育館は、JTサンダーズの本拠地として使われています。広島に生まれ育ち、日本のバレーボールを世界一に導いた名セッターの偉業を記念して建てられました。

館内には猫田の活躍を記念したギャラリーが併設されており、往年の活躍を垣間見ることができます。また、体育館隣には選手が利用する合宿所もあり、熱烈なファンが出待ちをする姿も見られます。

試合開催日にはチームグッズのショップも出店され、ユニフォームから日用品まで、ホームゲーム限定のグッズを手に入れることができます。

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photo by 新・広島復興2(猫田記念体育館と選手合宿所の外観)

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photo by JT(猫田記念体育館で熱い応援を繰り広げるファンの姿)

アクセス

所在地

  • 広島市南区皆実町2-8-42

アクセス

  • 新幹線、JR山陽本線をご利用の場合:
    広島駅在来線口より広島電鉄(路面電車)5番の「広島港(宇品)」行き → 「皆実町6丁目」駅下車 → 徒歩2分
  • 自家用車をご利用の場合:
    専用の駐車場はございませんので、最寄りの有料駐車場をご利用ください。

イベント

JTサンダーズは、色々なイベントを行っています。

東日本大震災の復興支援「JT応援プロジェクト」では、バレーボール教室や落語会、将棋フェスティバルなどを行っています。また、シーズンオフの期間に小中学生から大人まで幅広い世代に向けたバレーボール教室や体育の授業を利用した指導なども積極的に行っています。

これらイベントに参加したい場合は、事前の申し込みが必要となっています。下記リンクより内容と開催日をご確認いただき、ぜひ参加してみてください。

>> イベントの詳細はこちらをご確認ください。

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photo by ジモ通(選手と触れ合えるバレーボール教室の風景)

Vリーグ観戦ガイド

バレーボールのシーズンは、10月に開幕し翌3月に閉幕します。レギュラーラウンドから始まり、上位4チームで争うセミファイナルラウンド、最後に上位2チームで優勝を争うファイナルラウンドから構成されています。

試合会場で見るバレーボールはTVで見るのと全く違い、初めて観戦に訪れる人は、そのか迫力に必ず驚きます。特に館内に響く音はかなりのもので、間近に見るトップクラスの戦いに思わず胸が熱くなります。百聞は一見に如かず、まずは一度観戦してみてください。

そしてバレーボールの魅力と言えば、その独特の応援スタイル!リズムに合わせた軽快な応援は会場に一体感が生まれ、この応援が好きで会場に足を運ぶ人も多いです。観戦前に応援の仕方を予習して、ぜひ参加してみてください。

また、試合後に選手と触れ合えることもあります。試合前に握手会が開催されたり、試合後も色々なファンサービスが企画されています。

>> 観戦ガイドの詳細や観戦チケット購入についてはこちらからご確認ください。

その他の情報

チームマスコット(サンダー坊や)

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オンラインショップ

人気のユニフォームやトートバッグなどのファッションアイテム、文房具やキーホルダーなどの小物アイテムまでJTグッズが揃っています。試合観戦の時はもちろん、普段から身に着けられるものもたくさんあるので、見ているだけで楽しいです。下記リンクよりご購入いただけます。

>> JTバレーボール オンラインショップはこちらからどうぞ!

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