広島フォーク村

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広島フォーク村の始まりと時代背景

1960年代後半の日本では学園闘争の風が吹き荒れており、若者たちが中心となって様々な運動が盛んに行われていました。彼らは新左翼党として武装化し、ヘルメットにゲバ棒というスタイルで暴力も辞さない活動を繰り広げていきます。

これは「スチューデント・パワー」という、当時、世界中で起こった社会現象に端を発するもので、日本の学生運動はこれに呼応したものです。火炎瓶を使った市街戦を繰り広げたり、大学構内にバリケードを張り巡らせ権力との対決を試みていきました。その活動の中で死亡者も出すなど大きな社会問題へと発展していき、後の中核派の誕生にきっかけを与えてしまうこととなります。

その社会現象は音楽のスタイルにも影響を与えます。

この激動の時代背景の中、1960年代後半に、フォークソングを愛する若者たちがひとつの灯をともします。当時の広島には有名なフォーク音楽団体が3つありましたが、その中から伊藤明夫と吉田拓郎という2人の若者が中心となって、ひとつの音楽サークルを立ち上げます。

1968年11月、広島の「朝日珈琲サロン」という喫茶店に集まったフォーク音楽団体の代表たちにより「広島フォーク村」の設立を決めました。この歴史的な瞬間は、この後、日本中で巻き起こるフォークムーブメントの起源として今なお語り継がれています。

初代の村長は伊藤明夫で、吉田拓郎は顧問として在籍しましたが、そのカリスマ性から実質的なリーダーとして活躍し、広島のみならず、当時の日本に一大ムーブメントを巻き起こしました。

こうして伝説の音楽サークル「広島フォーク村」は誕生しました。

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photo by 壊れた赤のハラペコ日記(今でも残る純喫茶「朝日珈琲サロン」)

広島フォーク村の歴史

第一期 広島フォーク村

1968年11月に初代村長となった伊藤明夫と、実質的リーダーの吉田拓郎によって呼びかけが行われ設立された音楽サークル「広島フォーク村」。翌月12月には開村を記念したコンサート「開村会」が青少年センターで行われます。吉田拓郎を中心としたコンサート活動が精力的に行われ、翌年の1969年には他県でコンサートも開かれるようになります。

これまでに無かった若者たちの新しいムーブメントとして、広島フォーク村の存在は人から人へと少しずつ広がっていきます。

そして1970年3月、伝説の自主制作アルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」が発表されます。同年4月にはエレックレコードからこのアルバムが全国発売され、広島フォーク村の名はたちまち全国に知られるようになります。その影響は大きく、至る所で〇〇フォーク村という音楽サークルが出始めます。広島フォーク村の存在は、もはや名実ともに日本で最も有名な音楽集団となっていきました。

そんな中、レコード会社にも注目され始めた広島フォーク村から、1970年に吉田拓郎がプロデビューを果たします。それは拓郎の活動拠点が東京になることを意味し、拓郎無き広島フォーク村は徐々に求心力を失っていきます。

そして1971年5月、ついに広島フォーク村は解散することになってしまいました。その間、わずかに3年足らずの期間でしたが、広島のみならず日本中に与えた衝撃は計り知れず、その後の日本の音楽シーンに大きな影響を残すことになります。

第二期 広島フォーク村

1970年代半ばごろから、広島市にある音楽喫茶「レミーM.953」を中心にアマチュアミュージシャンが集まるようになっていました。1978年、レミーM.953のオーナーが地元テレビ局より広島フォーク村の再結成話を持ち掛けられます。それがきっかけとなり、広島フォーク村は新たな活動を再開していきました。

村長は河原敬二郎氏。

地元広島を中心にコンサート活動を精力的に行い、その後ヒット曲を飛ばす多くのミュージシャンを排出していきました。村下孝蔵や原田真二、浜田省吾も、この第二期広島フォーク村を経てプロデビューしています。

しかし1980年に入るとフォークソングに人気の陰りが見え始め、変わってニューウェーブやテクノといった新しい音楽に人気が集まります。広島フォーク村の活動も徐々に小さくなっていき、活動も行われなくなっていきました。その後、何度か再結成を繰り返しますが、時代の流れには勝てず、大きな話題を呼ぶことはありませんでした。

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photo by それぞれの風(1969年の広島フォーク村メンバー) ※2列目左から3番目が吉田拓郎

広島フォーク村出身のミュージシャン

吉田拓郎

言わずと知れたフォークソングのカリスマ的存在。ヒット曲は「結婚しようよ」や「旅の宿」など数知れず、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ伝説のミュージシャン。1971年に行われた全日本中津川フォークジャンボリーにて、「人間なんて」を2時間熱唱し続けたパフォーマンスは伝説となっている。作曲家としても活躍し、「襟裳岬」などのヒット曲を世に送り出しています。

浜田省吾

ハマショーの愛称で呼ばれ、「路地裏の少年」や「風を感じて」、「悲しみは雪のように」などのヒット曲を持つシンガーソングライター。今もなお熱烈なファンを持ち続け、広島県内では各所でハマショーをカバーしたライブイベントが開かれています。

岡崎倫典

杉田二郎、森山良子、尾崎豊、沢田聖子、ふきのとう、沢田知可子などのレコーディングやライブに参加するスタジオミュージシャン。そのプレイには多くの信頼を得ており、今もなお精力的に活動を続けています。

村下孝蔵

「ゆうこ」「初恋」「踊り子」などのヒット曲を持つシンガーソングライター。年に1枚ずつアルバムを発表することで有名で、根強いコアなファンを持ち、今現在でもカラオケやアマチュアライブなどで歌われ続けています。しかし、1999年に高血圧性脳内出血のため死去しています。

原田真二

吉田拓郎に見出された広島出身のシンガーソングライターで、デビュー曲も吉田拓郎がプロデュースしています。3か月連続で曲をリリースするという前代未聞のデビューを果たし、その3曲は全てスマッシュヒットし、ファーストアルバムは堂々の1位を獲得します。その後もライブ活動や作曲家として活躍し続けています。

広島フォーク村の今

その後、それぞれの道を歩み始めたメンバーの中で、いくつか小さなライブやイベントは行われていますが、以前のような「ムーブメント」としての活躍はありませんでした。時代はフォークからロックへ、個人からバンドへと移りゆく音楽シーンの中で、いつしか広島フォーク村の存在は遠い過去のように感じられるようになっていきます。

そんな中、地元広島で音楽に携わり続けている元メンバーの中でもう一度集まろうという話が持ち上がります。それは「広島フォーク村 30周年メモリアル・コンサート」として実現します。1999年8月21日、初代村長の伊藤明夫氏をはじめ、懐かしいメンバーで行われたコンサートは大盛況の中で行われました。

その流れは21世紀に入っても続いていきます。2008年8月2日には40周年の記念コンサートが開催されました。午前には吉田拓郎の母校である広島修道大学(当時の広島商科大学)で記念碑の除幕式も行われ、本人も参加しています。

その後も広島市を中心に、メンバー同士の交流は深く、いたるところでその音楽を耳にすることができます。

広島フォーク村ゆかりの場所を訪ねてみよう

Mac

広島フォーク村の創設メンバーで、若年寄として活動していた河野正則氏(マック氏)が経営する広島の中では伝説的なバーです。県内外のミュージシャンや音楽ファンが足げに通う老舗で、数千のレコードやCDからおススメをチョイスして聴かせてくれます。外国人も非常に多く、母国の音楽とお酒を楽しみに通っています。

2016年8月、河野正則氏は広島中のアーティストに惜しまれながら永眠されました。「何か聴きたいのあるかい?」といういつもの言葉を我々はもう聞くことができません。しかし音楽は永遠です。Macが残していった多くの思い出と共に、また広島音楽は歩き出しています。

facebook

Music Bar Jugemu(ジュゲム)

広島市の中心部で40年以上続いている音楽バーの老舗。オーナーのルーシーママは広島の音楽シーンでは母的な存在で、県内のみならず全国のミュージシャンに慕われています。Macと並び広島音楽シーンのメッカとなっています。現在でも当時のフォーク村メンバーが通っており、時代を超えて愛される広島の音楽処です。ぜひお話を聞いてみてください。素敵な笑顔であの頃の話をしてくれますよ。

Music Bar JUGEMU

所在地

  • 広島県広島市中区銀山町11-10 京ビル2F
  • 082-243-6681

営業時間

  • 20:00~27:00

定休日

  • 不定休

楽座

元フォーク村メンバーの石澤良一氏が経営するライブハウス。今でも古き良きフォークソングを中心とする音楽が聴ける店です。石澤氏はストリートで演奏する若者たちにチャンスの場を提供したいという志のもと、自身のライブハウスを提供する活動を行っており、地元ではラジオパーソナリティも務めています。広島から発信し続けるフォークソングを聞きたくなったら、ぜひ足を運んでみてください。

楽座

所在地

  • 広島県広島市中区立町6-1立町ウィング BF1-A
  • 082-246-1019

営業時間

  • 不定

定休日

  • 不定休

有限会社ママプロジェクト

オーナーの丸子理生氏は浜田省吾と同級生であり、音楽仲間でした。現在でも親交深く、県内で音楽を広める活動を精力的に行っています。ママプロジェクトでは、録音スタジオも完備されており、地元のミュージシャンに愛用されています。また、数々のイベント企画にも携わっており、広島のエンターテイメントシーンに大きく貢献しています。

有限会社ママプロジェクト

所在地

  • 広島県広島市南区出汐1丁目6-12
  • 082-256-5912

営業時間

  • 不定

定休日

  • 不定休

朝日珈琲サロン

広島フォーク村が誕生する歴史的瞬間が起こった場所です。県内では純喫茶としてファンも多く、美味しいコーヒーがいただけます。実はこのフォーク村誕生について、以前まで「ウインザー」という喫茶店で会合が行われたというのが定説でしたが、近年になって間違いであることが判明し、正しくは朝日珈琲サロンであったことがわかりました。懐かしい雰囲気漂う空間の中で、「あの頃」に思いをはせながら美味しいコーヒーはいかがでしょうか。

朝日珈琲サロン

所在地

  • 広島県広島市中区堀川町5-1 大内ビル地階
  • 082-247-0001

営業時間

  • 8:00~22:00

定休日

  • 年中無休
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