サンフレッチェ広島を知ろう

SNSフォローボタン

広島っぷをフォローする

sanfrecce-top

正式名称は「サンフレッチェ広島 F.C」、日本プロサッカーリーグ(通称Jリーグ)に加盟している、広島市を本拠地とするサッカーチーム。サンフレッチェ広島の前身はマツダのサッカー部で、Jリーグ初期を支えた選手を多く輩出した。
スポンサーリンク

サンフレッチェ広島の歴史

マツダ時代(東洋工業サッカー部)

創部は1938年にさかのぼります。広島県は当時からサッカーの強豪として知られ、その頂点に位置する東洋工業サッカー部は、全国でも長期にわたり強豪チームとして君臨していました。しかし時代の流れと共に、サッカーに力を入れ始める他県の頭角もあり、徐々に低迷し始めます。1980年代に入ると、その勢いは完全に失われ、JSL2部(今のJ2にあたる)への降格を経験するなど、我慢の時代が続きました。

1982年、後の日本サッカー界に大きな影響を及ぼすことになる「ハンス・オフト」がコーチに任命されます。オフトはコーチ陣に対し、よりインターナショナルなサッカーの指導力を身に着けさせるとともに、新たな選手の獲得、若手の育成など、総合的な底上げに尽力しました。

それは、すでに動き始めていた「プロサッカーリーグ」創設への参加を見据えたものでした。

toyokogyofootball

黄金期の東洋工業サッカー部

Jリーグ創設

マツダでは当初、財政的な理由からJリーグへの参加に消極的でした。しかし、サッカー協会や広島県から強く要望されると共に、市民からも参加を希望する声が多く届きます。その熱い声に後押しされるように、1991年、マツダはJリーグ参加を表明し、Jリーグの最初期の参加チームは全部で10チーム(通称:オリジナル10)での船出となりました。サンフレッチェ広島においては翌年の1992年、マツダが筆頭株主となり、最終的に59団体の出資により正式に設立されました。

オリジナル10

  • 鹿島アントラーズ
  • ジェフユナイテッド市原
  • 浦和レッドダイヤモンズ
  • ヴェルディ川崎
  • 横浜マリノス
  • 横浜フリューゲルス
  • 清水エスパルス
  • 名古屋グランパスエイト
  • ガンバ大阪
  • サンフレッチェ広島
jleague

photo by サッカーダイジェストWEB(1992年Jリーグが発足)

草創期

サンフレッチェ広島の船出は決して順風満帆ではありませんでした。当時はすでに引退していたコーチ陣を現役に引き戻すなど選手層が非常に薄く、試合をこなしていくことが精いっぱいといった状況の中で、1992年のナビスコカップは9位に終わりました。

しかし、バクスター監督のもと、高木琢也などの台頭により試合内容も徐々に安定し始め、バクスターのサッカーがチームに浸透し始めます。さらに盧廷潤やイワン・ハシェックら外国人選手の活躍もあり、1994年のサントリーシリーズで初優勝を果たします。

Jリーグ発足当時は各チームとも力が安定しておらず、順位の浮き沈みが激しい状況にありました。海外のサッカー大国では上位チームの順位は常に安定しており、日本のサッカー技術はもとより、クラブの運営自体にノウハウが蓄積されておらず、今日でも課題として残っています。

困窮期

1994年の優勝を経験し、サンフレッチェはさらなる高みを目指すことから監督にビム・ヤンセンを迎え入れます。ヤンセンはオランダサッカーを取り入れ、より組織的な攻守の徹底を図りました。しかし、発足当時の日本プロサッカー界において、この体系についていける選手は少なく、チームは完全にバランスを失っていき、リーグ順位も下位に低迷します。

さらに、低迷するチームに観客数も大きく減少し、財政を大きく揺るがし始めます。そのため、クラブはやむを得ず次々に選手を放出し始め、このことがサポーターの怒りを買い、さらに観客数減少につながるという悪循環に陥りました。このクラブ方針を不信感を持ったヤンセンは、1996年にチームを去ることになります。

1997年、Jリーグ発足当時の話題性も無くなりはじめ、サンフレッチェのみならず、一部の資金力のあるチーム以外はクラブ経営に苦しみ始めます。当時のプロ野球界に現れたスーパースター「イチロー」の存在などにより、野球に人気が集まり、観客動員に問題を抱えるクラブが続出しました。

そんな中サンフレッチェでは、経営立て直しと銘打って、主力選手の減俸を促し、選手の移籍による移籍金を得ることに注力し始めます。この事態に、選手とサポーターから大きな批判を浴びることとなり、それまでチームを支えてきた主力選手たちが次々にチームを去っていきました。このことから多くのサポーターを失ったサンフレッチェのホームグラウンドには、もはや観客の姿もまばらとなり、経営難はピークを迎えることとなります。

改革期

経営危機に陥ったサンフレッチェ広島に救いの手が差し伸べられます。地元企業のデオデオが介入することを承諾し、久保允誉氏が社長に任命されました。久保社長はクラブの経営を大きく変えていきます。資金力を武器にクラブ事務所も西広島飛行場内に移転させ、広島県安芸高田市に「吉田サッカー公園」を建設、クラブの練習場として整備しました。また、メディアによる宣伝も活用していく中、落ち込んだ観客動員も徐々に改善されていきました。

チームでは若手を徹底的に育成するとともに、他チームを戦力外となった選手を再利用します。さらに新たな外国人選手を複数獲得するなどし、チームの形を整えていきました。また、それまでの極端な守りのサッカーを攻撃的なスタイルへと変えていき、新たなチームへと変化させていきました。

サンフレッチェ広島は、ここから確実にひとつずつ階段を昇っていきはじめます。

吉田サッカー公園

photo by Wikipedia(吉田サッカー公園)

困惑記

2002年はサンフレッチェにとって忘れることのできない年となってしまいます。

新たに任命されたガジエフ監督のもと、守りのサッカーから攻撃的なスタイルへと変化を試みるチームは、守備を忘れたかのような試合を展開しはじめ、得点力こそ上がったものの失点が非常に多くなり、チームの成績はさらに低下。チームのバランスは完全に失われ連敗を重ねていきます。この状況の中、ガジエフ監督はまるでチームを投げ出すように帰国してしまいます。全ての歯車が狂ってしまったサンフレッチェは、この年、ついにJ2降格となります。

1991年から11年の歴史の中で、優勝経験のあるチームとしては初の降格となりました。

低迷期

J2に降格したサンフレッチェは「3年でJ1優勝争いに加わるチーム作り」に取り組んでいきます。当時の主力選手やベテラン選手を手放す一方、若手を中心に徹底した底上げを図り、次の時代を見据えた新たな戦力を整えていきます。そんなチームに変化が現れ始めます。その結果、わずか1年でJ1復帰を成し遂げます。

しかし、試練の時はまだ続きがありました。

J1に復帰後も得点力不足に悩まされ続け、リーグ戦において10試合連続未勝利という屈辱を味わされます。さらにディフェンスの固定に難のあった選手層の薄さも加わり、シーズンワーストの71失点を喫し、16位でフィニッシュ。2度目のJ2降格となってしまいます。

萌芽期

そんな中、明るい材料も現れ始めます。立て直しを図るクラブの呼びかけに応えるように、当時若手として期待されていた佐藤寿人が頭角を現し始め、18得点をたたき出し得点王に輝くなど孤軍奮闘します。全体的な連携もここにきて機能し始め、J2において全節を首位で終えるなど徐々に開花し始めます。2008年に行われたゼロックス・スーパーカップでは異例のJ2チームによる優勝を成し遂げるという珍事も引き起こしました。

また、Jリーグの移籍金制度の変更もクラブにとってプラスの材料となり、選手層の厚みにも成功します。

xeroxsupercup2008

photo by PIVOX(2008年のゼロックス・スーパーカップを制した選手たち)

成長期

J1昇格後、安定し始めた戦術により4位でフィニッシュ。J2から昇格したチームとしては最高位を勝ち取ります。この背景には、これまでのJリーグの通例としては、J2に降格した場合、その責任を取る形で監督が解任されていました。しかし、サンフレッチェの2度目の降格時、クラブは、チーム作りの流れを断ち切ることの無いよう監督の続投を決定します。このクラブ方針が功を奏し、チームの結束力にも繋がり、戦力の底上げに成功しました。この成功事例がサッカー関係者をはじめサポーターからも称賛され、各チームJ2降格後も監督を続投させるケースが増えていきました。

このころ、それまで地道に育ててきた若手選手層が一気に開花。チームの主戦力として活躍を見せ始めます。2009年以降、サンフレッチェは安定した試合運びが多くなり、大きく順位を下げることも少なくなってきました。

そして、「強いチーム」へと変貌を遂げていきます。

成熟期

2012年、サンフレッチェ出身の森安一が監督に就任します。チームの特徴やクラブ方針を熟知している森安監督は、ソツのない戦術によりチームを勝利へと導いていきます。安定した戦術と安定した選手層により、順調に勝利数を重ねていき、ついに念願のJ1総合優勝を成し遂げます。この瞬間、すでに2008年にJ2での年間総合優勝を経験しているサンフレッチェは、J1及びJ2両方での年間総合優勝を持つチームとなりました。翌年の2013年には2年連続となる優勝を勝ち取り、絶対王者として君臨します。

以降も安定したチーム力を維持しており、常に上位を争う強豪チームとしてJリーグを盛り上げ続けています。

クラブの記録

リーグ優勝

5回(1994年、2008円(J2)、2012年、2013年、2015年)

※ 2016年現在

リーグ年間優勝

4回(2008年、2012年、2013年、2015年)

※ 2016年現在

他公式戦優勝

4回(いずれもゼロックス杯)(2008年、2013年、2014年、2016年)

※ 2016年現在

国際タイトル

1回(2015年FIFAクラブワールドカップ3位)

個人の記録

日本年間最優秀選手賞

佐藤寿人(2012年)

MVP

佐藤寿人(2012年)
青山敏弘(2015年)

得点王

佐藤寿人 22ゴール(2012年)

ベストイレブン

高木琢也(1994年)
佐藤寿人(2005年)
槙野智章(2010年)
西川周作、水本裕貴、青山敏弘、高萩洋次郎、佐藤寿人(2012年)
西川周作、青山敏弘(2013年)
塩谷司(2014年)
塩谷司、青山敏弘、ドウグラス(2015年)

最優秀監督賞

森安一(2012~2015年)

クラブ施設

歴代のホームスタジアム

「広島スタジアム(現:Coca-Cola West 広島スタジアム)」(1992~1994年)

「広島ビッグアーチ(2013年よりエディオンスタジアム)」(1994年~)

その他の施設

「吉田サッカー公園」(1999年~)

「オフィシャルショップ V-POINT」(オフィシャルグッズショップ)


 ポイント  左上のメニューより施設名を確認できます

応援ソング

オー広島俺達と

情熱 広島

バモス サンフレッチェ

マスコット

sanchefreche

photo by チームFC208(スタジアムを盛り上げるマスコット)

サンフレッチェ広島のマスコット「サンチェ」と「フレッチェ」。中国山地に生息するツキノワグマがモチーフとなっています。

サンフレッチェ広島いまどき情報

サンフレッチェ観戦チケット

まだまだ野球人気の高い広島では、空席が目立つ試合も多いです。でも、一度見てみてください!選手の熱い戦いもさることながら、サポーターの熱い応援の中にいると、グッと胸が熱くなります!試合はぜひスタジアムでご覧ください!

観戦チケットのお買い求めはこちらからどうぞ

グッズ販売

人気のユニフォームから文房具まで、いろいろなグッズが販売されています。オフィシャルグッズショップ V-POINTもしくはオンラインショップ e-POINTにて好評発売中!

スポンサーリンク

この記事をシェアする

広島っぷをフォローする